2000年代、NHKの特集をきっかけに、ある不思議な遊びが全国的なブームになった。ただの土と水から、まるで黒曜石かガラス玉のように輝く球体を生み出す「光る泥団子」だ。
しかし、私はそのニュースを少し不思議な気持ちで見ていた。なぜなら、そのブームが起きる20年以上も前、私がたった一人でそのブームを作り出していたからだ。もっとも、私が通っていた、とある幼稚園の中だけの話だが。
すべては「自由保育」の幼稚園から始まった
わたしは1974年生まれ。物語の舞台は、おそらく年中、4歳くらいだった1978年頃にさかのぼる。
当時私が通っていたのは、キリスト教系の幼稚園だった。でも、私の家は父方が熱心な神道で、祖父は宮内庁勤め。年末年始は神棚の前で正座し、父が祝詞をあげ、大麻(おおぬさ)でお祓いをするような家庭だ。なぜ私がキリスト教の幼稚園に入ったのかは謎だが、この場所が、私の人生にとって最高にフィットした。
引っ越す前に通っていた幼稚園は、厳しい「一斉保育」だった。「〇〇の時間」と細かく区切られ、先生たちは「何々しなさい!」「何々しちゃだめ!」といつもガミガミ怒っていた。正直、退屈で窮屈だった記憶しかない。
しかし、新しい幼稚園は全く違った。「完全な自由保育」。外で遊んでも、中で遊んでも、何をしていても自由。先生に何かを強要された記憶は一度もなく、いつも穏やかで、言葉遣いが綺麗だった。幼心に、そのあまりの違いに衝撃を受けたのを覚えている。
この、すべてが許される環境の中で、私は「土団子」という底なし沼に、どっぷりとハマっていくことになる。
目的は「美」ではなく「強度」。壊れない道具が欲しかった

私は昔から、何かに興味を持つと、とことん突き詰めるタイプだった。ただし、興味の対象は目まぐるしく変わる。
土団子にハマったきっかけは、確か先生に教わった、ごく普通の「泥団子」作りだった。土と水を混ぜて丸め、乾かす。でも、私にはそれが全く面白く思えなかった。
「この団子には、実用性がない」
そう感じたのだ。私が欲しかったのは、友達と投げ合っても壊れない「道具」だった。そこから、ただひたすらに「硬い団子」を目指す、私だけの孤独な研究が始まった。
水は使わない。私が見つけた「土団子」の製法
その研究プロセスは、驚くほど鮮明に覚えている。
まず、私は当たり前とされていた「水を混ぜる」製法を捨てた。水を使えば成形は楽だが、求める強度は得られない。それに、乾くのを待つ悠長な時間は、私の探求の妨げでしかなかった。「水を使わずに固めるにはどうすればいいか?」――この新たな問いを胸に、私は園庭、花壇、園舎の裏、小道と、園内のあらゆる場所の土を採取しては試作を繰り返す日々に入った。
そしてついに、植物の根元にある、きめ細かく、適度な湿気を含んだ土が最適であることを突き止めた。さらに研究を進め、その土に園庭の乾いた土を特定の割合で「ブレンド」すると、格段に強度が増すことを発見した。強度の測定方法はシンプルだ。自分の胸の高さからコンクリートに落とし、割れやヒビの入り方で判定した。
次に、さらなる強度を求めて、私は「積層構造」に行き着いた。
- まず、直径3cmほどの芯となる小さな土団子を、水を使わずに固く握りしめて作る。
- その表面に、砂場の乾いた砂をまぶし、すぐに払い落とす。これで余分な水分が砂に吸われ、表面が締まる。
- 指の腹で、表面をひたすら丁寧に擦り続ける。すると、少しずつ黒光りしてくる。
- 「砂をかけて、磨く」を何度も繰り返す。
- 表面が固い層になったら、そこに新しい土を継ぎ足し、一回り大きな団子に育てていく。そしてまた、砂をかけて磨く。
これを繰り返し、硬い層を何層にも重ねていく。最終的に直径5cmほどの、ずっしりと重い、黒光りする「土団子」が完成する。
研究の最終段階は、強度を保ったまま、いかに完全な球体に近づけ、美しく光らせるか。もはや職人の世界だ。砂の量、磨く回数、指の力加減。すべてが完成度を左右する。ある時、日陰の湿った花壇に1日寝かせる「熟成」の工程を挟むと、光沢が劇的に増すことも突き止めた。
幼稚園に起きた、たった一人の革命

私が研究に明け暮れるうち、その異様な光景に、先生や園児たちが興味を示し始めた。そして、私が製法を教える時間が増えていった。今までおもちゃで遊んでいた皆が、私の土団子作りを真似て、園庭で土をこね始めたのだ。
園内で、土団子ブームが巻き起こった。
私は幼稚園の有名人になり、その噂は親たちの間にも広まった。「土団子ブームの火付け役の、ちょっとユニークな子」の母として、私の母親も注目されていたらしい。母は今でも、その時のことを楽しそうに話してくれる。
私の土団子は「オーパーツ」だったのかもしれない

今回、この記事を書くにあたって現代の「光る泥団子」の製法を調べてみたが、最初から純度の高い粘土を使ったり、水で成形しやすくしたり、道具を使ったり、光沢を出すために何かを塗ったり……。それらは「美しさ」に特化しすぎている。
私がこだわったのは、あくまで「土」団子だ。水を使わず、自然の素材だけで作り上げる。なぜなら、それは美しいだけの置物ではなく、友達と遊んでも壊れない「道具」としての役割を持つべきだと信じていたからだ。
日本中がその存在を知る20年以上も前に、たった4歳の私が生み出したあの黒光りする球体。それは、当時の大人たちの目に、時代を超越した「オーパーツ」のように輝いて見えていたのではないか……なんてことを、手前味噌ながら、今でも時々思い出すのだ。