束の間の休息
教習所の決まり事で好きなものがいくつかあった。
①教習開始の挨拶
毎朝、技能教習が始まる前に30人を超える教官がコース上に整列して、生徒と向き合って一斉に挨拶をするのだが、学生時代に戻ったような気分になれて俺はこの挨拶が好きだった。おそらく伝統として長年受け継がれてきたのだろう。是非これからも続けて欲しい。
②合格発表の校内放送
検定の合格者を発表する校内放送は、所長と思われる男性が必ず行う決まりのようだったのだが、かなり年季の入った声で、聴いていると心がほっこりして好きだった。
③ランチカード
昼食は予め受付で事務員さんから「ランチカード」なるものを受け取り、食堂で提出する決まりになっているのだが、これも大学生の学食みたいで好きだった。若者には取るに足らない事だろうが、ブラック企業で長年精神を削りながら戦ってきた俺には、束の間だが学生時代の希望に満ちた頃を思い出させてくれる安らぎの場に思えたのだった。
朝のしらべの謎
もうひとつ気に入っていたことがある。教習所の朝は校内のスピーカーからクラシックが流れてきて優雅に始まる。
俺はこの時間が好きだった。
曲は決まってヴィヴァルディの四季だ。休日の朝はクラシックを聴きながら朝食を食べるようなブルジョワかぶれの両親の元で育った俺は、クラシックを聴くと心が落ち着くし「よし今日も頑張ろう!」という気にさせてくれるので好きなのだ。
でもなぜ教習所でクラシックなのだろうと素朴な疑問を持った俺は、何となくスマホの音楽認識アプリを起動して検索してみた。するとイスラエル出身の『ピンカス・ズーカーマン』という人が指揮したものだとわかった。
そして彼について書かれたWikipediaをチェックしてみると、優雅な朝のしらべの謎の答えを見つけることができた。
“2011年4月、福島第一原子力発電所事故による放射能への不安を理由に第16回宮崎国際音楽祭を辞退したジュリアン・ラクリンに代わり、(ピンカス・ズーカーマンは)「日本を元気づけたい」と出演を決定した。” (Wikipediaより)
毎朝、彼の指揮した曲が流れるのは、おそらく音楽祭への出演に敬意を評してのことだろう。何とも律儀で、人の絆を感じさせてくれる心温まるエピソードだ。
もしかしたら単なる偶然かも知れないが、俺がこの教習所を好きになった理由の一つでもあった。
できること、すべきこと
二段階も終盤に差し掛かり、高速教習を受けたときのことだ。
パーキングエリアで休憩を取るために車を降りると、目前にあった看板を見て身体が固まった。そこに大きく「放射線情報」と書かれていたからだ。
教官の話では、福島では放射線量の影響で通行できない国道(特に二輪車)がまだ多く残っているということだった。都心近郊に暮らす俺は、東日本大震災は完全に過去の出来事と捉えていた。
しかしここでは九年近く経った今でも数千人が仮設住宅で暮らしていて、未だに故郷に戻れない人が大勢いる。NHK福島では連日のように被災者の避難生活について報道していて、震災は今も福島の人たちを苦しめ続けていることを知った。
俺は海外の恵まれない環境に暮らす子供たちを支援するボランティア活動を数年前から続けているが、こんなに身近な場所で苦しんでいる人が大勢居るのに、海外への支援をしていて良いのだろうかという疑念が浮かんだ。
俺にできること、すべきことを今一度考え直す必要があるのかもしれない・・・