先々月に『オクトパストラベラー』をクリアしました。久々に2DのRPGを満喫できたので、記憶が新しいうちにレビューを残しておこうと思います。
率直に言って、「オクトパストラベラー」は、JRPGというジャンルにおいて、懐かしさと新しさが共存する独特の輝きを放つ傑作でした。
オルステラ大陸を舞台に、出自も目的も異なる8人の主人公たちがそれぞれの物語を紡ぎ出すという構成は、古典的なJRPGの系譜を踏襲しつつも、その表現方法において大胆な試みを見せています。
特に、ドット絵と3DCGを融合させた「HD-2D」と呼ばれるグラフィックは、発表当初から大きな注目を集め、多くのゲーマーの心を掴んだ ・・・らしい。
私にとって2018年はベンチャー企業へ転籍した直後で、営業・広報・商品企画・情報システム・総務・顧客対応まで、すべてを一人で切り盛りしていました。休日はいつも疲労困憊で、心身の回復に努めるだけで精いっぱい。ゲームを楽しむ余裕はまったくなく、作品の存在や高評価は耳にしていたものの、結局プレイしないまま月日が流れました。
2018年当時、ゲーム市場は高精細な3Dグラフィックを誇る大作RPGと、純粋なレトロスタイルを追求するインディーゲームが隆盛を見せていて、その中で「オクトパストラベラー」は、これら二つの潮流を巧みに融合させることで独自のポジションを確立したようです。
HD-2Dというスタイルは、単に過去のドット絵を美しく見せるだけでなく、3D的な空間表現と光の演出を加えることで、懐かしさの中に明確な「新しさ」が提示されていて、この視覚的なアイデンティティは、往年の16ビット時代を懐かしむ古参ゲーマー層と、ユニークなビジュアルに惹かれる新規プレイヤー層の双方に届いただろうと思います。
そして、この成功体験が、後のスクウェア・エニックスにおけるHD-2D作品群(例えば「トライアングルストラテジー」や「ライブアライブ」リメイクなど)への道筋をつけたことは想像に難くありません。
本稿では、「オクトパストラベラー」が、その野心的な構造ゆえの物語上・システム上の課題を抱えつつも、息をのむようなアートスタイル、珠玉のサウンドトラック、そして古典的JRPGのメカニクスに独自の工夫を加えた戦闘システムによって、いかにして記憶に残る作品となったのかを掘り下げていこうと思います。
魅惑のキャンバス:HD-2Dグラフィックと世界デザイン

「オクトパストラベラー」の最も際立った特徴の一つは、間違いなくその視覚表現、「HD-2D」と呼ばれるグラフィックスタイルです。
これは、伝統的な2Dのドット絵キャラクターと、3Dで構築された背景や環境を融合させ、さらに被写界深度、動的なライティング、パーティクルエフェクトといった現代的な映像技術を組み合わせることで生み出された、全く新しい映像美と言えます。その独創的なビジュアルは強烈な第一印象を与えます。
プレイを始め、最初に街を散策した瞬間、胸が躍るほどワクワクしました。それは、子どもの頃に初期の『ドラクエ』をプレイしたときと同じ感覚でした。
このHD-2Dは、ファミコン&スーパーファミコン時代のRPGに慣れ親しんだ世代にとっては懐かしさを呼び起こすと同時に、その洗練された表現によって新鮮な驚きをもたらします。単なるレトロ趣味ではなく、ドット絵の持つ温かみや表現力を最大限に活かしつつ、現代の技術でそれを再構築しようという意欲が感じられ、その結果として生まれるのは、光の表現が非常に美しく、水面の反射や木漏れ日、雪の結晶の輝きといった細部までこだわり抜かれた、没入感の高い世界です。
特に、奥行きや空気感を巧みに演出するライティングやエフェクトは特筆に値します。

ここで個人的に思い起こされるのは、「ゴースト・オブ・ツシマ」です。
フォトリアルな世界観でありながら、絶妙なバランスでデフォルメされた「計算された美しさ」に私は魅了されました。どこを強調し、どこをあえて隠すのか、そうした取捨選択の積み重ねによって作り込まれた世界観は、表現のベクトルこそ「オクトパストラベラー」のHD-2Dとは異なるものの、アーティスティックなこだわりという点では同じ思想を感じさせます。
キャラクターのドット絵もまた、敵キャラクターのデザインと合わせて、プレイヤーをファンタジー世界の冒険へと強く誘います。特にボスキャラクターは、ドット絵でありながらその巨大さや威圧感が巧みに表現されており、撃破時の爽快感は格別です。

このようなデフォルメ表現はドット絵ならではの持ち味ですが、その受け止め方は世代によって異なると思います。フォトリアルなグラフィックに親しんだ現代の若年層にとっては、こうした表現がやや奇異に感じられたり、場合によってはチープな印象を受けたりする可能性も否定できないですが、そうした評価の壁を乗り越えさせるほどの絶妙なバランス感覚と表現力は、まさしくドット絵で一時代を築いたスクウェア・エニックスの真骨頂と言えます。
また、HD-2Dスタイルは、単に美しいだけでなく、プレイヤーの想像力を積極的に引き出す装置としても機能しています。
高精細な3Dモデルが全てを克明に描き出すのとは異なり、ドット絵という抽象化された表現は、プレイヤーがその行間を読み、感情や情景を自ら補完することを促します。3Dで構築された環境がスケール感や場所の雰囲気を提供する一方で、2Dのキャラクタードットは、記号的ながらも豊かな表情や動きを見せ、感情移入を容易にします。
この絶妙なバランスが、時に詳細な描写以上に雄弁な物語体験を生み出しています。これこそが今でもドット絵が魅力を保ち続ける理由であり、今後も新たな作品が生み出され続ける理由でもあると思います。
オルステラの響き:サウンドスケープと音楽スコア

「オクトパストラベラー」を語る上で、HD-2Dのビジュアルと双璧をなすのが、作曲家・西木康智氏による珠玉の音楽です。多くのレビューで、本作のサウンドトラックはゲーム体験を格段に高める要素として絶賛されており、その評価はほぼ揺るぎありません。
本作の音楽は、オーケストラを基調とした壮大かつメロディアスな楽曲群で構成されており、往年の名作JRPGのスコアを彷彿とさせます。主旋律がはっきりしているサウンドが多く、耳覚えのよい曲ばかりです。
特に戦闘曲はクオリティーが高く、ボス戦では、手に汗握る体験を提供してくれます。
「オクトパストラベラー」の音楽は、単なる背景音楽として消費されるのではなく、ゲームのアイデンティティと感情的な共鳴を生み出す上で、ビジュアルと同等かそれ以上に重要な役割を担っていると思います。
HD-2Dが視覚面で懐かしさと新しさを融合させたように、音楽もまた、植松伸夫氏の「ファイナルファンタジー」シリーズや「クロノ・トリガー」といった古典的名作の響きを現代的なオーケストレーションと音響技術で蘇らせています。
八つの物語:ストーリーとキャラクター

「オクトパストラベラー」の物語構造を簡単に説明すると、出自も旅の目的も、そして個性や特技も異なる8人の主人公から1人を選んで、プレイを始め、各主人公には数章からなる独立した物語が用意されており、プレイヤーは好きな順番でこれらの物語を進めていきます。
実はこのレビューを書くにあたり、他の方の感想にも目を通したのですが、RPGでオムニバス形式を採用すること自体を否定する意見をいくつか目にしました。
しかし、オムニバス形式の採用は、自由度を優先した結果であり、それ自体が単純な良し悪しで語れるものではないと思います。小説や映画のような受動的なメディアとは異なり、インタラクティブなエンターテイメントであるゲームにおいては、プレイヤーの選択の自由と物語の壮大さ・緊密さは時にトレードオフの関係になります。
この点を度外視し、単に「物語が薄い」と批判するのは、商業的なプロダクトとしてのゲームデザインや、インタラクティブ性特有の取捨選択に対する視野を欠いた「感想」に留まってしまいます。
それを踏まえて本作のストーリーを評価するならば、個々の物語は非常によく練り込まれており、起承転結といった物語の基本的な枠組みをしっかりと捉えていると思います。一つ一つの物語は必ずしも深遠なテーマを扱っているわけではないかもしれませんが、プレイヤーにカタルシスを感じさせるには十分な質の高いシナリオが揃っていると言えます。サイラス編の知的好奇心を満たす展開や、あるサブストーリーの選択がもたらすやるせない結末など、心に残るエピソードも少なくありません。
しかし、この構造が抱える問題点も確かにあります。ウィークポイントは、新しいキャラクターが主人公(初期選択キャラクター)のパーティーに合流する際の演出が極めて機械的である点です。
自由度を担保するために、キャラクター間のドラマチックな出会いや葛藤といった要素が削ぎ落とされてしまっているのは、ある意味仕方がないことだとしても、それがあまりに杓子定規で機械的なのです。最低限の動機付けの演出があるだけでも、プレイヤーの没入感は大きく変わったはずです。残念ながら、この点は続編である「オクトパストラベラーII」でも大きな改善は見られませんでした。
また、キャラクターの成長も主に個々の物語の中で完結しており、パーティメンバーとして共に旅をする中で育まれる絆や変化といったものは、オプション的な「パーティチャット」(特定の組み合わせで発生する短い会話)に留まることが多いので、プレイヤーは8つの独立した短編小説を読んでいるような感覚を抱きやすいです。
前述の通り、「オクトパストラベラー」の物語構造は、伝統的なJRPGが目指す壮大な叙事詩よりも、むしろオムニバス形式の作品集に近いです。個々の物語は魅力的ですが、それらが一つの大きな世界を美しく創造しているかという点では、多くのプレイヤーが物足りなさを感じたのも事実だと思います。この点は、続編「オクトパストラベラーII」で「クロスストーリー」という形で明確に改善が図られたことからも、開発チーム自身も認識していた課題であったことが伺えます。
キャラクターについては、短い物語の中にも人物描写や心理描写は明確に描かれており、それぞれの個性はしっかりと伝わってきます。しかし、戦闘における有用性の差から、一部のキャラクターはレベル上げの最中以外はほとんど酒場に預けっぱなしになりがちです。また、群像劇としての側面も薄いため、それぞれのストーリーを終えてしまうと、それ以降は単なる戦闘要員と化してしまうという側面も否めません。
物語の終着点:エンドロールのタイミング

オクトパストラベラーを語る上で、全ての物語を繋ぐ「真のエンディング」の存在についても言及せざるを得ません。
一部のレビュワーは、この隠し要素によって物語の壮大さや奥深さが担保されていると評価している人もいますが、その実態は裏ダンジョン攻略中に膨大なテキストを読まされるというものであり、これをもって「物語が深い」とするのはさすがに無理があると言わざるを得ません。
おそらく、構想段階で存在したであろう壮大なバックストーリーを本編に盛り込むことが不可能だったため、このような形での補完を試みたのだと思いますが、自由度を選択したのなら、中途半端に裏設定を晒すのではなく、割り切って全て削ってしまえばよかったのではないかと思います。
この手法は、実は海外のゲームに非常に多いです。手記というかたちで事の真相を小出しにしたり、謎を深めるギミックとして使われることが多いのですが、これはローカライズコストやエピストラリー文学(書簡体文学)の名残など、いくつかの要因が考えられます。
しかし、日本のプレイヤーからすると「誰がいちいちこんな長文を読むんだ?もっと直接的にカットシーンなどで演出すればよいのに…」と感じてしまうことが多いのではないでしょうか。
日本ではアニメ・漫画文化が発達しており、視覚情報で一気に状況を提示し、感情を揺さぶる演出に長け、そしてそれが好まれやすいという文化的背景も影響しているのかもしれません。個人的な意見としては、物語を一つに繋げてクライマックスで収束させると決めたのなら、それをしっかりと本編に盛り込んで欲しかったし、そうでないのなら、長文の手記を読むという手法で後から情報を詰め込むのは止めて欲しかった、というのが率直な感想です。残念ながら、「オクトパストラベラーII」でも同様の手法が一部採用されています。
そして、この中途半端とも言える物語への姿勢が、本作が最も批判された要素の一つに繋がってきます。
それは、「エンドロールを流すタイミング」です。
これに関しては、ほとんどのプレイヤーが不満を表明していると言っても過言ではないでしょう。 本作では、プレイヤーが最初に選んだキャラクターが「主人公」という扱いになり、他の7人のキャラクターの物語の進行状況に関わらず、この「主人公」の物語が完結すると、唐突にエンドロールが流れてしまうのです。これには私自身も大きな驚きと、同時に強い落胆を覚えました。
オムニバス形式という自由な物語体験を標榜しつつも、各所に核心のストーリーに関連するであろう伏線が見え隠れする。それにも関わらず、多くの謎や未解決の物語を残したままエンディングを迎えてしまうという構成は、制作サイドの意図とプレイヤーの期待との間に大きな齟齬を生んでしまいます。このプレイヤー心理を軽視したかのような中途半端な姿勢が、結果として最悪の選択をしてしまったと言えるのではないでしょうか。因みに「オクトパストラベラーII」では改善されています。
旅の感覚:マップシステムとダンジョン

「オクトパストラベラー」において、個人的に最も不満を感じたのはマップシステムです。
HD-2Dという革新的なグラフィックコンセプトを追求した結果なのかもしれないですが、このシステムが、より洗練されていれば、本作はさらに多くのプレイヤーに受け入れられ、ファイナルファンタジーやドラクエと並ぶ強力なIPに育ったのではないかと思います。
具体的に何が不満なのかというと、移動システムが広大な一枚の2Dマップではなく、HD-2Dで作られた個別のマップを繋ぎ合わせた構成になっている点です。これにより、「旅をしている」という感覚が希薄になっています。
もちろん、HD-2Dで描かれた美しい街やダンジョンはそれ自体に見応えがあります。しかし、マップ間の連続性が乏しいので、エリアを移動すると突然景色が一変し、天候、気候、文化といった環境の変化を肌で感じる要素が薄く感じてしまいます。
そして、フィールドの移動中は基本的にエンカウントによる戦闘と、道中に配置された宝箱を拾って歩く作業の繰り返しになりがちで、これもまた、RPGの根源的な楽しみである「未知の世界を旅する感覚」を削いでしまい、プレイの単調さが助長されてしまいます。
HD-2Dという特性上、同じ縮尺で広大なシームレスマップを表現するには多大な労力が必要であることは理解できます。個別に作り込まれた美しい街やダンジョンと、それらを繋ぐ簡略化された移動シーンという構成の方が、開発効率やグラフィックの統一感という点では合理的だったのかもしれません。
しかし、それは同時に、かつての2D RPGが持っていた「広大な世界を自らの足で踏破していく」という大きな魅力を犠牲にしているとも言えます。
制作サイドが様々な要素を取捨選択する中で、伝統的な2Dのワールドマップを廃するという決断を下したのだろうと推測しますが、やはりこの選択は誤っていたのではないかと個人的には感じています。
後に発売されたHD-2D版「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」は、この弱点を見事に克服しています。

3D的な要素が入ることで間延びしがちなマップ移動に、アイテム収集などの探索要素を加えることで、デメリットを軽減しつつHD-2Dの長所を活かそうとしています。乗り物の移動速度など、細かな調整に課題は残るかもしれませんが、HD-2Dの可能性を示す良作と言えます。(つい先日、大幅なアップデートが入り、乗り物の移動速度が上昇)
対照的に、かつての「ファイナルファンタジーXV」では、リアルな3Dグラフィックで広大な世界が再現されていたものの、私は「旅をしている」という感覚をほとんど得られませんでした。単にだだっ広い空間を移動することが苦痛でしかなく、それをさらに悪化させたのが自動車による移動でした。これはRPGの概念を根底から揺るがすものであり、明確な失敗だったと言えます。「オクトパストラベラー」のマップシステムも、方向性は異なるものの、これに近い「旅の感覚の喪失」という問題を抱えていると思います。
HD-2Dという新たなカテゴリを生み出した作品であるだけに、このマップシステムについては、ナンバリングタイトルを重ねるごとに改善を期待しています。しかし、残念ながら続編である「オクトパストラベラーII」でも、この基本的なマップ構造は継承されてしまいました。
戦いの舞踏:戦闘システムとメカニクス

「オクトパストラベラー」の戦闘システムは、伝統的なターン制コマンドバトルを基盤としつつ、「ブレイク」と「ブースト」という二つの独創的なシステムを導入することで、戦略的かつ爽快なバトル体験を実現しています。私も最初は戸惑ったものの、徐々にその仕組みを理解していくにつれて楽しさを覚えました。
敵にはそれぞれ弱点属性が設定されていて、その弱点を突くことで敵のシールドポイントを削り、ゼロにすると「ブレイク」状態にすることができ、ブレイクした敵は一時的に行動不能になり、受けるダメージも増加するので、戦闘を有利に進める上で極めて重要な要素となります。一方の「ブースト」は、ターン経過で蓄積されるBP(ブーストポイント)を消費することで、通常攻撃の回数を増やしたり、アビリティの効果を高めたりできるシステムで、このブレイクとブーストの組み合わせが、本作の戦闘に独特のリズムと深みを与えています。
ボス戦は特にこのシステムの醍醐味が凝縮されており、単調なコマンド入力では勝利はおぼつきません。本作のボスはなかなか強く、同じコマンドを連打するだけでは勝てないので、敵の行動パターンを読み、弱点を見抜き、ブレイクとブーストのタイミングを的確に計る必要があります。ボスが大技を繰り出す前には予兆があり、これを見逃さずにブレイクで阻止することができれば、戦局を大きく有利に傾けることができます。
失敗を繰り返しながら解を見つけていく作業はなかなかやりごたえがあり、ボス撃破の際には大きな達成感を感じることができます。他の人のレビューを見ると、戦闘システムについてはかなり好意的に見ている方が多かったです。
しかし、このシステムは諸刃の剣でもあります。敵の弱点を突き、ブレイクさせて大ダメージを与えるというサイクルが戦闘の軸に設計されているため、武器の性能やキャラクターの純粋な攻撃力といった要素の影響が相対的に薄くなりがちなのです。
キャラクターの成長過程が非常に短く感じられ、レベルが足りないか、あるいは高すぎるかの二極化しやすく、RPGの醍醐味の一つである「徐々に強くなっていく成長の実感」を得られる期間が短いです。
戦闘システムの特性を理解してしまうと、それ以降の戦闘は「いかに効率よくブレイクし、ブースト攻撃を叩き込むか」というパズルを解く作業になりがちで、戦闘をいかに短時間で終わらせるかという点にプレイヤーの意識が集中しやすくなります。
その結果、新しい街へ向かう道中での命の危険や、じりじりと敵を追い詰めていくヒリヒリ感といった、古典的RPGが持っていた冒険の緊張感はほぼ味わうことができません。
さらに、各キャラクターが持つフィールドコマンド(例えば「盗む」)によって、強力な武器や防具が比較的容易に、かつ戦闘の苦労を経ずして手に入ってしまうことがあります。
自由度が高いことの弊害とも言えますが、ダンジョンの奥深くで苦労して手に入れた武器が、次の街のNPCから盗んだアイテムによってすぐに陳腐化してしまう、といった事態が頻繁に起こりうるのです。
また、ダメージ効率の良いキャラクター、ジョブ、スキルがある程度固定化されており、自由度の高いジョブシステムであるにも関わらず、多くのプレイヤーは数パターンの効率的な戦闘スタイルを選択することになり、結果としてかなり偏った単調な戦闘になりがちであるという側面も否定できません。
世界との対話:フィールドコマンドと探索

「オクトパストラベラー」のユニークなシステムの一つに、各主人公が固有に持つ「フィールドコマンド」があります。これは、街のNPCに対して様々なインタラクションを行うことができるシステムで、例えば学者のサイラスは「探る」ことで情報を得たり、商人のトレサは「買取る」でアイテムを入手したり、剣士のオルベリクは「試合」を申し込んだり、踊子のプリムロゼは「誘惑」して連れ歩いたりすることができます。
これらのフィールドコマンドは、NPCとの関わり方を豊かにし、サブクエストの解決に役立ったり、隠されたアイテムを発見したりできます。NPC一人ひとりにも細かな設定や所持品があり、「盗賊を倒すと寂しい財布を落としたり」といった細やかな描写は、世界が生きているという感覚を与えてくれます。
フィールドコマンドは、NPCを単なる情報提供者やクエスト発行者以上の存在へと昇華させてくれます。彼らの経歴を調べたり、バトルに加勢させたりすることで、「語られない世界を“想像”する楽しさをプラス」してくれます。これにより、プレイヤーはオルステラ大陸の隅々まで探索し、そこに住まう人々と積極的に関わろうという意欲をかき立てられます。
ただし、この革新的なシステムにも大きなデメリットがあります。
村人との単調な会話から情報を得るという従来のRPGの定型からの脱却を狙った着想であると推測できますが、街へ到着してからの作業感が非常に強くなってしまうのです。強い武器や貴重なアイテムを取り逃したくないという一心で、全てのNPCに対してフィールドコマンドを試すことになりますが、その結果として、街の雰囲気を楽しんだり、NPCの生活を想像したりといった「街を散策する楽しみ」が大きく薄れてしまいます。
ゲームバランスも、村人からアイテムを「盗む」などのコマンドで入手することを前提としたような調整がなされていると感じる部分があります。また、「暴く」などのコマンドでそのNPCの人となりや簡単なバックストーリーを読むことができますが、ほとんどの場合、プレイヤーはアイテムや情報といった実利的な見返りを求めていて、それらのテキストをじっくりと読むことは稀だろうと思います。
旅人の結論:総括

「オクトパストラベラー」は、その野心的な試みと卓越した芸術性によって、JRPGの歴史に確かな足跡を残した作品と言えます。
息をのむほど美しいHD-2Dグラフィック、心に深く刻まれる珠玉のサウンドトラックは、本作を際立たせる大きな強みです。8人の主人公たちが織りなす個々の物語も、それぞれが一定の魅力を持っています。
しかし、多くの課題も抱えていました。主人公たちの物語が互いに深く交わらない構造的な問題、旅の感覚を著しく損なうマップシステム、成長の実感が薄く作業になりがちな戦闘システムなど。8人全員の育成に伴うレベル上げの必要性や、章構成の単調さも、これらの問題点を助長しました。
それでもなお、「オクトパストラベラー」が多くのプレイヤーにとって忘れがたい体験を提供したこともまた事実だろうと思います。「JRPGの代表格であるドラクエやファイナルファンタジーには及ばない点もある」という冷静な評価がある一方で、「こういうRPGが遊びたかった!」と熱狂的に迎えられた背景には、やはりHD-2Dの圧倒的なビジュアルと、心に響く音楽の力があったのだろうと思います。
最終的に、「オクトパストラベラー」は、単なる良作JRPGというだけでなく、HD-2Dという新たな視覚表現を成功裏に打ち出し、スクウェア・エニックスのその後の作品群にも大きな影響を与えたという点で、ゲーム史における意義を持つ作品と言えます。
それは、懐かしさと新しさが交差する地点で生まれた、挑戦的で美しい、そして多くの示唆に富んだ旅の記憶でした…