グラン・トピアの十戒

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変異者ミュータント

竜牙亭りゅうげていは、町の中心に位置する賑やかな噴水広場に面している。夕暮れ時、噴水の水音と広場を行き交う人々のざわめきが心地よい。

フラップは軽やかな足取りで竜牙亭りゅうげていの前に立った。重厚な木造の扉を開けると、暖かい光が漏れ出し、中から賑やかな笑い声と音楽が聞こえてくる。 店内は広く、天井には重厚な木の梁が見え、壁には様々な探究者シーカーたちのトロフィーや記念品が飾られている。テーブルや椅子は使い込まれており、探究者シーカーたちが頻繁に集まる場所であることを物語っている。

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カウンターの奥には、筋骨隆々の店主が立っており、温和な笑みを湛えている。彼の名はガルド、かつては名高い探究者シーカーだったが、今は情報と食事を提供する側に回っている。彼の背後には、各種の地図や古びた書物がぎっしりと詰まった棚があり、ここから探究者シーカーたちにサブクエストと呼ばれる依頼情報が提供される。

壁際にはいくつもの個室が設けられており、探究者シーカーたちはここで静かに打ち合わせをすることができる。暖炉の前には大きなテーブルがあり、ここではいつも誰かが新しい冒険の話や昔話を語り合っている。天井には魔法のランタンが吊るされており、夜でも昼間のように明るく照らされている。このランタンは、ガルドがかつての冒険で手に入れたもので、今では竜牙亭りゅうげていの象徴となっている。

竜牙亭りゅうげていには「ドラゴンテールステーキ」という名物料理がある。探究者シーカーたちに絶大な人気を誇る逸品だ。巨大なドラゴンの尾を、アルケーの森でしか採れない特別な香草「フェアリーブレス」と特製スパイスでマリネし、強火で焼き上げることで、外は香ばしく、中はジューシーに仕上がる。尾の根本の肉は歯ごたえがあり、先の方は脂がのってやわらかく、好みによって選べるのも魅力だ。焼きたてのステーキは、香ばしい香りが店内に広がり、食欲をそそる。添えられた新鮮な野菜と特製ソースが、さらに味わいを引き立てる。一口頬張れば、柔らかくて濃厚な肉の旨みが広がり、疲れた体と心を満たしてくれる。

竜牙亭りゅうげていはただの酒場ではなく、探究者シーカーたちにとって次なる冒険への活力を養うと同時に、その門戸が開かれる特別な場所であった。

「お待たせ、リンネ」

リンネはカウンター席に腰掛け、頬杖を付いて店主の様子を目で追っていたが、フラップの声でくるりと向き直った。その途端、膨れっ面になる。

「フラップ、おっそいよ」

本来ならば子供が立ち寄るような店ではないが、リンネがこの店に入り浸っていることは町で知らない者はいない。確かに彼女の好奇心を満たすには、これ以上ないほど打ってつけの場所だろう。

「悪かった。ちょっと仕事が立て込んでてね」フラップは後ろ頭を掻いた。

「それでね、計画っていうのは――」

「ちょ、ちょっと待て。喉がカラカラなんだ」

フラップは店主にエール酒を注文した。しばらくして運ばれてきたジョッキを煽る。

「プハァ、生き返る」

「また、食事もせずにずっと釣りしてたんでしょ?」

「まぁ、そんなとこだ」

探究者シーカーの癖に怠け者なんだから」

仮想世界メタバースのバグを見つけるために派遣された観測者デバッカーと、世界各地に現れる凶悪な魔獣から人々を守る探究者シーカーは、どちらも幻影転送機ファントムテレポーター精神没入マインドダイブしているプレイヤーである。しかし、仮想世界メタバースに存在するNPCたちはその事実を知らず、彼らを自分たちと同じグラントピアの住人だと思っている。また、観測者デバッカーは十戒の影響を受けず、探究者シーカーと同じように振る舞うことができるため、リンネはフラップのことを探究者シーカーだと認識している。

「さて計画の話だが――」

フラップが話し始めると、リンネは待ってましたとばかりに足元に置いてあった大きな皮袋をカウンターの上にドスンと置いた。重く鈍い音が店内に響く。

「八千ミスルある。これ全部フラップにあげる」

リンネの言葉にフラップは驚きの表情を浮かべた。袋の中には大量の金貨が詰まっており、その数は尋常ではなかった。

「なんてこった。こ、こんな大金どうやって……」

フラップは困惑しながらリンネを見つめた。

「凄いでしょ?」リンネは自慢げに鼻をこすり、満足げに笑った。

「んっ?」フラップが首を捻ねって宙を仰いだ。つい数時間前に書き終えた不具合報告書バグレポートの内容が頭を過った。そして、ふと気づいて、さらに問い詰めた。

「よく考えたらお前が魔法の鍵を持っているのもおかしいよな? どうやって手に入れたんだ? まさか、俺にまだ言ってない世界の綻びバグズとやらがあるのか?」

「うんっ」リンネがいたずらっぽく笑みを浮かべた。

フラップが密かに抱いていた疑いは確信へと変わった。リンネは『変異者ミュータント』に違いない。

グラン・トピアでは、NPC本来の役割から逸脱する行動が目立つ個体を変異者ミュータントと呼んでいる。ここ最近、リンネのような変異者ミュータントの出現報告が何件かあったのをフラップは確認していた。没入感への期待がエスカレートしている昨今では、プレイヤーと区別がつかないほどの思考レベルが求められている。そこでグラン・トピアは、他のサービスとの更なる差別化を図るため、試験的にNPCの思考レベルを大幅に引き上げる大型パッチを実装したが、これが変異者ミュータントの出現原因ではないかと思われた。

「私ね、この町を抜け出したいの……そして、もっと世界の綻びバグズを見つけ出したいの」

しかし、十戒によってリンネの行動範囲は自治区のウーノス、アルケーの森、チチェン川の上流に限られている。つまり、リンネが旅に出ることは不可能なはずであった。

「まさか、魔法の鍵を持ったまま自治区外に出たのか?」フラップは神妙な面持ちで訊ねた。

リンネがゆっくりと首を縦に振った。

「でも、いつもはおとなしいフレアウルフとかレインバードに襲われちゃって……だからフラップについて来て欲しいなって」

魔獣は探究者シーカーに経験値を与えるために生み出された存在なので、本来ならNPCに敵意を持つことは決してない。これで魔法の鍵を持ったリンネが探究者シーカーと誤認識されているとフラップは確信した。

フラップはリンネと旅をすることで大きなメリットがあることは分かっていた。リンネが行く先々で不具合バグを見つけ出す度に、特別ボーナスが入る可能性があるからだ。しかし、もっと心を揺さぶったのは、フラップが抱いているある仮説にリンネが深く関わっているように思えてならなかったからだ。

フラップは暫く考え込んでから、意を決したように口を開いた。

「リンネ、出発はいつがいいんだ?」

「一緒に行ってくれるの?」リンネは目を輝かせてフラップに詰め寄る。

「あぁ。そろそろ釣りにも飽きてきたし、いい退屈しのぎになりそうだと思ってな」

「やったー!」リンネは喜びの声を上げ、フラップに飛び付いた。

フラップはリンネの笑顔に少し照れながらも、彼女の希望に応えることにした。彼の仮説が真実であるかどうか確かめるため、リンネと共に未知の冒険へと踏み出すことを決めたのだった。

リンネの声が竜牙亭りゅうげていに響き渡ったちょうどその時、入口の扉から一人の女が入ってきた。透き通るような白い肌、交じりっ気のない輝く銀髪、薄紫のプレートメイルからスラっと伸びる手足。大きく切れ長な目と宝石のように光る蒼い瞳。そして、鼻筋の通った美しい顔の左右からツンと伸びた長い耳。不老不死と言われている種族『エルフ』である。

エルフは、『時空転生』という超高難度の裏クエストを突破したトッププレイヤーだけが生まれ変われることを許された、限定種族である。

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「フラップ、あの人誰?」リンネが訊ねる。

「エレオニールか、厄介だな」 フラップはエルフに視線を向けたままエール酒を勢いよく飲み干した。

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