世界の綻び
西日が森に長い影を落とす頃、二人はアルケーの森にある小さなツリーハウスにたどり着いた。周囲の木々と見事に同化しているため、注意深く探さない限り、付近の住民でも見つけるのは困難だろう。
室内には丸い小窓があり、傍には古びた机と椅子が置かれている。部屋の中央を貫く木の幹からは壁や天井に沿って大小の枝が伸びている。旅行記と思しき分厚い本が無造作に積み上げられており、その上には身体に斑点模様のあるフクロウが静かに座っていた。
「ここは?」マルクが室内を見回しながら訊ねる。
「秘密の実験小屋ってところかな」リンネが机に置かれたランタンに火を灯すと、フクロウが目を覚まして瞼をパチパチとさせた。
「まず、私が宝箱から薬草を盗んでもゴレムに襲われない理由だけど……」
「うんっ」マルクは息を呑んでリンネの言葉を待った。
リンネは鞄の中から小さな鍵を取り出した。鍵は微かに蒼白く光っている。
マルクはハッと気づき、顔を近づけた。
「これってもしかして、魔法の鍵?」
「あたりっ」リンネは得意げに微笑んだ。
魔法の鍵はソーサラーによって開錠の魔法が掛けられており、鍵穴の形状に関わらず、大抵の宝箱を開けることができる。探究者が古代遺跡などに安置された宝箱を開ける目的で作られたもので、その価格は二千ミスルと非常に高価だ。探究者以外の者が手にすることはほぼあり得ない品物である。
「私がこのカギを使って宝箱を開けても、なぜか中身を盗んだことにならないって気づいたの」
「えっ?どういうこと?」マルクは首を捻った。
「この世界が魔法の鍵を持った私を探究者だと勘違いしているのよ。」リンネは一呼吸置いて続けた。「つまり、世界を騙してるってわけ」
「せ、世界を騙すだって? そんなことできるわけないよ。そもそも魔法の鍵なんて僕らには絶対に買えないはずだろ? もしかしてそれも盗んだの?」マルクは声を荒げた。
「確かに『個人の資産を保持してはならない』って十戒のせいで、私たちが持てるお金は五十ミスルまでに限られてる。じゃあ、どうして私が二千ミスルの魔法の鍵を買えたのか…」
マルクは瞬きを忘れてリンネの次の言葉を鋭く見据えた。
「それは、この子のおかげだよ」リンネはフクロウの頭を優しく撫でた。
マルクは要領を得ず、困惑の表情を浮かべた。
「普通なら五十ミスルを超えた分は翌日になると消えちゃうよね。だから、いつどうやって消えるのかこの目で確かめようと思って、ミスル硬貨を机に置いて夜通し見つめていたの。そしたらどうなったと思う?」リンネが訊ねる。
「まさか、硬貨は消えなかった……ってこと?」
「うん」リンネはゆっくりと頷いた。
「それで今度はミスル硬貨を皮袋に入れて同じことをしてみたの。でも今度は消えちゃった」
「つまり、直接ずっと眺めていれば、夜を超えてもお金は消えないってこと?」
「そういうこと。でもね、毎日眠らずに夜通しお金を眺めているわけにもいかないでしょう。そこでこの子の出番よ」
リンネはフクロウの顔を覗き込んだ。
その瞬間、マルクは何かに気づいたように目を見開いて、「あっ」と声をあげた。
「フクロウは夜に眠らない」
「そのとおりっ」リンネは満足そうに両手を打った。
「こういう不思議な決まりごとを、私は世界の綻びって呼んでるの。そして十戒は、創造神アーティが世界の綻びを隠すために創ったんじゃないかって思ってるの」
リンネは真剣な面持ちで言った。 マルクは決して知ってはいけないことを知ってしまった気分になり、ブルッと震えた。