登場人物
リンネ・・・田舎町ウーノスに住むグラスビットの少女
マルク・・・リンネの幼馴染の少年。リンネより2歳年下
フラップ・・・ヒューマンの男性。表向きの職業は探究者
エレオニール・・・希少種族エルフ。キャスロック王国の元騎士
グラン・トピアの十戒
嘘をついてはならない
盗みを働いてはならない
いかなる命も奪ってはならない
自治区の境界を越えてはならない
個人の資産を保持してはならない
職業を変更してはならない
探求者に危害を加えてはならない
探求者を罰してはならない
偶像に祈りを捧げてはならない
魔王の名を口にしてはならない
無限販売
太陽が高く昇る中、リンネは道具屋へと足を運んでいた。
小道には苔むした古い石が敷き詰められている。時折小鳥の囀りや遠くの木々が風に揺れる音が彼女の足音に混じる。道の両側には野草が生い茂り、ところどころに咲いている野花が彼女の心を和ませる。道具屋へと続くこの小道は、ほとんど人通りがないためか、自然がそのままの姿を保っているようだった。
「あぁ、この静けさ、本当に心地よいわね」とリンネはつぶやいた。
彼女は身長一メートルほどの小柄な少女で、陽の光に照らされた茶髪は柔らかな輝きを放ち、大きな目には強い好奇心が宿っている。まだ幼さの残る顔立ちは愛らしく、道中の野花にも負けないほどの魅力を持っていた。
ようやく彼女の目の前に、目指していた道具屋が現れる。オーク材の重厚な扉と、精巧に削られた木枠窓が特徴的な二階建ての建物は、小ぢんまりとしているが、その土地になじんだ温かな雰囲気を漂わせていた。しかし、店が町の外れにあるため、訪れる客は滅多にない。
「閑古鳥が鳴いていなければいいけど」と少しばかり皮肉を込めてリンネはつぶやき、扉に手をかけた。
こんな町外れの店にも、ごく稀に探究者が門を叩くことはあるが、彼らが求めるのはアルケーの森に自生する薬草だけである。町の近郊に広がる神秘的な森で、多くの未知の植物が育つ。この森で採取される薬草は傷の回復効果が非常に高く、危険な旅に携行するには最適な代物であった。
『探究者』とは、世界各地に現れる凶悪な魔獣から人々を守る重大な役割を担っている者たちのことである。彼らは十戒に縛られることなく、自由に世界を駆け巡ることが許されていた。
リンネの住むウーノスは、草原と小さな森に囲まれた静かな田舎町で、彼女の両親はこの地で鍛冶屋を営んでいた。リンネは十三歳から両親の仕事を手伝い始めたが、彼女の好奇心旺盛な性格には、同じ作業の繰り返しは退屈極まりなかった。そのため、束縛のない探究者の生活に、彼女は強い憧れを抱いていた。
リンネが毎日眺めるアルケーの森の向こうに広がる未知の地。その風景は彼女の想像力をいつもかき立る。探究者たちが語る外の世界の話に耳を傾けるたび、リンネの心は新たな可能性に向かって羽ばたいていくようだった。
扉を開けると、その瞬間、薬草とアルコールが混ざり合った、何とも言えない鼻を突くような香りが店内から溢れ出た。店内は薄暗く、天井から吊るされたランプの柔らかな光がほのかに辺りを照らしている。壁一面には棚が並び、その上には瓶詰めの薬草や各種道具が所狭しと並べられている。リンネにとっては見慣れた光景である。
「お嬢ちゃん、今日も持ってきたのかい?」
堂々とした体格の店主がカウンター越しに尋ねた。その声は年季の入ったこの店と同じように温かみが感じられた。
「もちろん!」
リンネは笑顔で応じ、鞄から薬草を取り出し、慣れた手つきでカウンターの上に置く。
店主が慎重に鑑定用ルーペをかざして、薬草を注意深く観察した。彼の眼差しは厳しく、年月を経たその手は震えることなく緑色の葉脈を辿った。
「うん、これは良い品だ。八ミスルだな」
店主のリンネに向けられた微笑みは彼女の努力を認めるものだった。リンネが満足そうに頷くと、彼は手元の小さな木箱から銀貨一枚と銅貨三枚を取り出し、それらをリンネの手のひらにそっと乗せた。
「おっちゃん、まいど」とリンネは感謝の言葉を返しつつ、硬貨を素早く鞄に放り込んだ。それから、彼女は小さく頭を下げて、店の出口へと足早に向かった。
店主は見送るように彼女の後ろ姿を眺め、優しい笑みを浮かべた。
店の外に出た瞬間、リンネは金髪のカールが風になびく少年、マルクが駆け寄ってくるのを目にした。
「やっぱりここにいた」
「なんであんたがここにいるのよ……」リンネは言葉を失い、深いため息をついた。
マルクはリンネより二歳年下の幼馴染で、いつも彼女に付きまとっている。同じ『グラスビット』という種族で、この地域ではそれほど珍しくない。性格は温厚だが、職人気質で頑固なところがある。大人になっても身長は一メートルを少し超える程度で、幼い顔立ちが特徴的だ。
「またあの実験をしてるの?」マルクが尋ねた。
「別にいいでしょ、それが何か問題でも?」リンネは振り返りもせずに言葉を吐き捨てた。しかし、マルクは簡単には引き下がらない。彼は追いすがりながら警告した。
「問題あるにきまってるだろ! 十戒を破ってるじゃないか! いつかゴレムに連れて行かれちゃっても、僕は知らないからね!」
リンネはそっぽを向いたまま足早に去る。マルクは諦めた表情で彼女の後を追った。
『ゴレム』とは冥界に巣食う醜い悪魔であり、十戒を破った者の成れの果てと言われている。創造神アーティはこの世界を創ると同時に、住人が遵守すべき絶対的な掟『グラン・トピアの十戒』を定めた。これを破った者はゴレムに冥界へ連れ去られ、遂には自身もゴレムに姿を変えられると言われている。
しかし、この厳格な世界において、十戒を破ることが許される唯一の存在がいる。それが探究者だ。
探究者は、凶悪な魔獣が蔓延るこの世界の隅々まで足を運び、人々を保護する役割を担っており、その使命のためには、通常の束縛を超える自由が与えられている。彼らはこの特権により、冥界の影響から逃れつつ、世界の平和を守るための重要な役割を果たしている。
リンネは道具屋の真裏にある勝手口で足を止め、傍にある小窓から店内を覗いた。かすかに店主の話し声が聞こえる。
「マルク、あっち側からおっちゃんに話しかけて、しばらく気を逸らして」
「えーっ、またやるの――」
マルクは眉をひそめて抗議しようとしたが、その言葉はリンネに口を押さえられて途切れた。
「つきまとうなら、協力くらいしなさいよ。どうするの?」
リンネはマルクの目をじっと見据えながら冷たく問い返した。その視線は一層厳しくなり、マルクに選択の余地を与えなかった。
「……わかったよ。やればいいんでしょ、やれば」とマルクは重いため息をつきながら、先ほどリンネが出てきた店の正面口へと足を向けた。リンネは店内の様子を慎重に窺ってから、静かに裏口の扉を開けて店内に忍び込んだ。
足音を立てないように注意深く進み、背中を丸めて店主に気づかれないように移動する。暫くすると、正面口の扉からマルクが入ってくる音がした。マルクが店主に話しかける声が聞こえる中、リンネは息を潜めて宝箱へと近づいた。宝箱の鍵穴に、彼女が持参していた小さな光る道具を差し込むと、音もなく蓋が開いた。
中には先程彼女が売ったばかりの薬草が丁寧に収められていた。リンネは素早く手を伸ばし、薬草を鞄に押し込むと、一切の物音を立てずに店を後にした。外に出ると、彼女は周囲を警戒しつつ、素早くその場を離れた。
しばらくして、リンネは再び道具屋の店内にいた。
「うん、これは良い品だ。八ミスルだな」
店主は銀貨一枚と銅貨三枚を掌に乗せて差し出した。数分前と寸分違わぬ光景である。
「おっちゃん、まいど!」
リンネはにこやかに言ってミスル硬貨を受け取ると、軽快な足取りで店を出た。
町の中心にある古びた石の噴水の縁石に二人は並んで腰掛けていた。リンネは近くの露店で買ったばかりのふわふわのパンを頬張り、満足そうに味わっている。対照的に、マルクは眉をひそめて苛立ちを隠せずにいた。
「おかしいことだらけだよ」とマルクが不満を吐露した。
「どうして? 自分が売った薬草を盗んで、それをまた売っただけだよ」
リンネは口をモグモグさせながら、まるで何も問題がないかのように答えた。
マルクはリンネの無邪気さにさらにイライラを募らせる。
「それがおかしいって言ってるんだよ。人の物を盗んだらゴレムに――」と真剣に警告しようとしたが、そこでリンネが彼の口に食べかけのパンを押し込んだ。
「ごぷっ」とマルクが突然のことに咽せ返る。リンネは彼の反応に小さく笑いながら、突然彼の腕を掴んで立ち上がった。
「あにふふんたお(何するんだよ)」
「いいから、ちょっとおいでよ。特別に教えてあげる」とリンネは微笑みながら、マルクの手を引いて町の賑やかな通りへと駆け出した。