時は昭和の終わり・・・
幼い頃の俺が、ある日偶然手にした小さなゲームカートリッジ。
その中には無限と思えるほどの果てしない世界が広がっていて、電源をカチッと押し込むだけで、心が躍る大冒険へ何度も誘ってくれた。
コントローラーを手にした俺は、主人公と深くシンクロしていて、強大な敵に恐怖を覚え、友の壮絶な死に絶望した。
しかし、挫けることなく幾多の困難を乗り越えて、世界に平和を取り戻した時、これまでの人生で感じた事のない感情が溢れてきて目頭が熱くなった。
俺はその時、「感動」という言葉の意味を生まれて初めて知ったように思う。そして、いつしか「人を感動させるゲームを創る」という夢を抱くようになっていた。
あれから早三十五年。残念ながら未だにその夢は実現していない。
なぜなら、夢に挑戦するチャンスはいくらでもあったが、その実、自分の才能と向き合う恐怖で一歩も踏み出せず、ずっと葛藤し続けてきたからだ。
いくらなんでも葛藤が長すぎると思う人もいるかも知れない。
確かに『天空の城ラピュタ』を観て、ただ純粋に「あぁ面白かった、また観たい」という感情だけで心が満たされた人には、この長い葛藤を理解するのは少々難しいだろう。
しかし、一方で「自分もこんな素敵な物語を創ってみたい」という感情を抱いた人、『耳をすませば』の雫や『ブルーピリオド』の八虎のような、物語の主人公が自身の才能と向き合って苦しむ姿を見て強く共感する人には、きっと理解していただけるのではないか。
恐らく、個人ゲーム開発の苦しみは計り知れないほど大きい。遅かれ早かれ自分の才能の限界が見えてしまい、絶望を味わうのは必至だろう。
それもそのはず、「ゲームは総合芸術」と言われるようになって久しいが、映像、物語、音楽が織り成す壮大な異世界を構築するためには、類い稀な才能を持った大勢のクリエイターたちが集結しても、完成までに長い時間と労力を必要とする・・・にも関わらずそれを素人一人で創り上げようというのだから、そもそも正気の沙汰ではないのだ。
しかし俺は、長い葛藤を終えて、ついに一歩を踏み出した。
もう振り向かない。たとえ未来に耐え難い絶望が待っていようとも・・・
「覚悟を決めろ ほかの誰でもない これはお前の物語だ」
さて、大げさな前置きはこれくらいにしておこうw
俺が個人ゲーム開発という苦行を始めてから、そろそろ三ヶ月が経過するので、現在までの進捗と心境を簡単に書き記しておきたいと思う。
実を言うとこの三ヶ月は、テーマ、世界観、キャラクター、シナリオ等に費やしたので、実際のツクール(ゲーム制作ソフト)上での作業は、タイトルロゴ(仮)とワールドマップとオープニングらしきイベントをひとつ試作しただけにとどまっている。
オープニングっぽいものができた。OPイベント(自動実行)の後にタイトル画面を出したいのでプラグイン入れてやってみたけれど、ループしちゃう。たぶん俺の理解力が足りないだけだと思うけれど・・・
ひとまず「並列処理」の意味が何となくわかったので少しレベルアップ。 pic.twitter.com/i9L1jpQPBB
— たむぞう@ENELGEAR(エネルギア)制作中 (@tam_zo_) November 13, 2021
エター(永遠に完成しない)と疑われても仕方がないレベルだという事は俺も分かっている。
とは言え、設定系のExcelファイルの文字数は既に十万字を超えていて、全ての設定やシナリオが決まる頃には、今の五倍くらいまで膨らむと予測している。
ここまで設定やシナリオに拘っているのは、いったい何故なのか。その理由は単純だ。
「自分の中に勝負できそうな要素がシナリオしか見当たらなかったから」
創るからには多くの人に届いて欲しいと思っているが、個人開発のインディーズゲーム界隈は何か尖った要素が無いと、いかにクオリティが高く且つプロモーションが巧みでも、全く注目されずに完全に埋もれてしまうという事がうっすらとわかってきた。
だから、まずは自分の中の尖った要素を探す必要があると考えた。
Twitterでフォローさせていただいている先輩ツクラーの皆様を勝手に分類すると、オリジナルキャラクターや美しい一枚背景マップに拘ったデザイナー系ツクラー、カットイン演出や連携攻撃などの派手な戦闘に拘ったバトル系ツクラー、凝ったUIや複雑なシステムに拘ったプログラマー系ツクラー、エモーショナルなイベントに拘ったライター系ツクラー等が居て、それぞれ尖ったところがある方が多い。そして、これらを掛け合わせたハイブリット系天才ツクラーも稀に居る。
では、俺は何系ツクラーなのか。
文章を書くことは好きだし、人を感動させるゲームを創りたいと思っているので、ライター系と言えなくもないのだが、だからと言って俺がシナリオ制作に長けているかと言われれば全くそうではない。
俺は、初めて自身で物語を創った日のことを今でもはっきり覚えている。あれは小学校三年生の時だ。ある日、国語の授業で「自由に創作文を作りなさい」という宿題が出た。
何故か俺は、誰よりも面白い物語を創れるという根拠のない自信に満ち溢れていたので、その日は意気揚々と帰宅した。しかし、いざ原稿用紙を目の前にすると、面白いくらいに何も浮かんでこない。
漫画を読んだり、ゲームをしたり、アニメを観たり、おやつを食べたり、考えつく限りの気分転換を試したが、天才作家であるはずの俺の右手はピクリとも動かなかった。
それでも夕食後に眠い目をこすりながら、どうにかこうにか絞り出した物語とは・・・
世界各地に散らばる魔法の宝玉を九つ集めて呪文を唱えると、空を覆うほどの巨大な龍神が現れて、どんな願いもひとつだけ叶えてくれるという伝説をめぐる壮大なファンタジー。
その名も・・・
『 ナインボール物語 』
いや、まんまドラゴンボォォォーーール!!!!www
自分の無能さに心底絶望したことは言うまでもない。
これで俺にシナリオ制作の先天的な才能が一ミクロンも備わっていないことはおわかりいただけただろう。
それでも、好きこそ物の上手なれという言葉があるように、「俺に伸び代があるとしたらシナリオしかない」という答えに最終的に行き着いた。
そんなわけで、独学でシナリオを勉強するためにゲームシナリオや脚本術の本をいくつか購入した。どれも素晴らしい内容で、シナリオの基礎は十分に理解できたのだが、それを実践するとなると一筋縄ではいかないという厳しい現実も同時に理解した。
ひと昔前のロールプレイングゲームなら、大半がお使いシナリオでもクリアすればそれなりの感動はあった。当時の物差しであれば、今の俺でもそれなりの物語は創れるのかも知れない。しかし現代のプレイヤーは目が肥えているので、ほぼ通用しないということは容易に想像できる。
糸井重里さんが傑作ロールプレイングゲーム『MOTHER』を創った当時は、まだゲームの中で「あなたが好きです」という直接的なセリフが使えたのが嬉しかったと語っている。しかし、今では通用しないから楽しくないというのが、続編が制作されない大きな理由の一つなのかも知れない。
また、ファイナルファンタジーシリーズの最新ナンバリングタイトル『ファイナルファンタジーXVI』のプロデューサーを務める吉田直樹さんも、近頃は映像表現のレベルが格段に上がった為、スケール感に嘘がつけなくなり、壮大な物語を書き辛くなったと語っている。
つまり、確実に昔よりもシナリオライターの力量を問われる時代になったのだ。
要するに、特別なスキルも才能もない俺が、ただ文章を書くのが好きという低レベルのアビリティを一つだけ装備して「個人ゲーム開発」という長い旅に出発したのだけれど、どこからともなく「そんな装備で大丈夫か?」という声が聴こえてきて、脳内でこだましている助けて・・・というのが現在の心境というわけ。
それでも挫けずに、あと半年くらいはストーリーの創作に余暇の全てを費やそうと思っている。
完成は早くても二年後くらいだろう。まだまだ長い旅は続く・・・
追伸:そうは言っても、制作は楽しんでるので大丈夫だ、問題ないw