「いったいどこまで続いてるんだ?」
先の見えない薄暗い廊下をひたすら歩きながら、つい愚痴がこぼれた。
俺の名前は葛西拓也。まだギリギリ二十代で、真っ当な社会人。職業は何かって?おいおい、興味津々だな。
俺は探偵さ。でもただの探偵じゃない。「夢探偵」と名乗ってる。
まあ、ちょっとばかり胡散臭いのは否定できないが、高身長でそこそこハンサムってのは自他ともに認めるところだ。でも、今はそんなことどうでもいい。
周囲は濃い霧に包まれ、一寸先も見えないほど視界が遮られている。足元に微かにタイル張りの床が見える。そして時折通り過ぎる「○年×組」のクラス札。
どうやら学校の廊下のようだ。静寂の中、俺の足音だけがカツカツと冷たくこだまする。
どれくらい歩いたかな。遠くの方で微かに女の子の泣き声が聞こえてきた。
「こりゃあ気味が悪いなぁ」 そんな言葉が口をついて出る。
ありふれた怪談のシチュエーションそのものだろ。そうこう考えている間に声はどんどんと近付いて、声の主が居ると思われる扉の前までたどり着いた。扉を挟んだ向こうに確実に女の子がいる。
「ちっ、やっぱり泣き声といえばここだよなぁ」
見上げると小さな札には「お手洗い」の文字が見える。
「ま、こーなったら話の種にホラーハウスに乗り込むとするか!」
強がりを言いながら俺はおもむろにドアノブをつかみ、一気に扉を開け放った。
ギィィィーという大きな音が廊下に響き渡る。そして、目の前に現れたのは・・・
「ミルキーマウス!?」
俺は一瞬目を疑った。そこには、誰もが知っている国民的キャラクターがパチパチと瞬きをしながらこちらを見ていた。
中学三年の夏に同じクラスの子とデートで行ったショッピングモールの一画で人だかりを作っていた、あのミルキーマウスが、トイレには似つかわしくないカラフルなソファにちょこんと座っていた。
一見するとマイキーマウスと似ているようだが、目の上にはカールした大きなまつげがついている。そして大きな手に、大きな足。とてもモデルが鼠とは思えないようなかわいらしさだ。
「あなたは誰なの?」 目の前のミルキーマウスが驚いた口調で問いかける。
とは言え、口は動かないし、表情も変わらないが、それは言いっこなしだ。
俺は深々とかぶったお気に入りのベースボールキャップを少し上げてから、国民的キャラクターの質問に答えた。
「俺は、葛西拓也。またの名を、夢探偵タクヤ」
この名乗りは、いわゆるお約束だ。時代劇や特撮ヒーローのようで、毎回ちょっと気恥ずかしい。
「ゆ.め.た.ん.て.い?」
ミルキーマウスはオーバーアクション気味に首を傾げる。
「ああ、俺には人にはまねできない特殊な能力があるんだ。まあ、今こうしてここにいるのがその証拠ってわけだけど」
「それって、どういうこと?」
「要するに、俺は他人の夢に入り込んで、そこで好き勝手にやれるってわけさ」
「あなたはどうしてここに来たの?」
「君を助けにきたんだよ。ところで君はどうしてこんな所で泣いてるの?」
少し間を置いて、うつむきながらミルキーマウスは答えた。
「…わたし…わからない」
「今、君がいるこの世界は、君自身が作りだした空想の世界なのさ。廊下や教室、このトイレ、そして霧や空気も。みんな君の心が作り出したんだ。そして君はこの世界にもう二週間も閉じこもっている。何故なんだい?わけを聞かせてくれよ」
実は、答えは聞かなくても分かっている。たいていの原因は現実逃避だ。この一言で解決する。理由はどうであれ、夢に逃げ込むような人間は精神的に弱いというか、俺には理解できないところで真剣に悩んでいることが多い。まあ、こんなことを言ったら、解決するものも解決しないが...
「わたし…アイドルなんです」
「……へ?」 唐突な告白に俺は固まった。
「来月の初めにデビューすることになってて...でも自信がなくて。だって歌は下手だし、演技だって好きじゃない。だからみんなに好きになってもらえるわけない」
これは意外な展開だ。こんな話は依頼主から全然聞いてねーな。まあ冷静に考えて見れば、そんな情報を見るからに怪しい俺に話すわけないか。そーいえば寝顔はまあまあかわいかったかな? うむ。
「来月の初めってのが、実は明日なんだよ。これが…」
「え!?うそぉ」
「嘘じゃないよ。君はもう二週間も眠り続けてるんだ。だからデビューはたぶん、あ.し.た。俺も今初めて知ったけどね」
「…でも無理よ。だからもう、いっそこのまま眠り続ければ…」
「それじゃあ、俺が来た意味なくなっちまう」
これは、相当自分に対しての自信を無くしてるな。姿がミルキーマウスなのは、みんなに無条件で愛されるキャラクターへの憧れってわけか。手を振れば、老若男女が喜んで集まって来るってのは、これからアイドルになろうとする人間の心の拠り所になっても、そうおかしくはない話だ。静まり返った部屋に二人の会話が響く。
「初めから愛される人なんかいないさ。それに、最初から出来る人より、最初は出来なくても、努力して出来るようになった人の方が、結果的に伸びるっていうだろ」
俺は、ヤク中毒のたてこもりや、ハイジャック事件なんかでよく出てくる、説得のプロじゃない。夢の中には両親を連れて来るわけにいかないしね。だから、自分の思ってることを素直に相手に伝えるしかない。それが、俺に出来る最善の方法だ。
「やっぱり無理よ。自信がないの。これからずっとまわりを気にしながら生きていかなきゃいけない。普通に外を出歩けなくなるし、友達とも気軽に会えなくなる」
ミルキーマウスは大袈裟な身振り手振りでこれから出来なくなるであろう、様々なことを思い付く限り話しはじめた。
「買い物、映画、旅行、恋愛…あとは」
「そんなの数えあげたらきりがないだろ。逆に考えてみたらどうだ?」
「逆にって?」
「例えば、これからたくさんの人に出会うことができるんだ。それも、多くの人に夢を与えてきた歌手や俳優に」
「確かに、そうかもしれないけれど」
「それに写真集のロケで海外にも行けるかもしれない。とびっきりクールな俳優とか、人気絶頂のトップアイドルと恋に落ちて、極秘旅行なんてのもあり得る」
「私にそんな素敵なことが起こるっていうの?」
「あぁ。そしてなにより、たくさんのファンができるんだ。君を応援してくれる人が数えきれないほどね」
「私のファン…」
「悩んだ時や辛い時、みんなが応援してくれるし、支えてくれる。そして君はファンにたくさんの夢を与えることができる」
「…」
「こんな幸せな職業は他にはないよ。俺にも、そんな職業を選ぶ選択肢があったなら、迷わずそれを選ぶだろうな。でも、俺にはそんな選択肢はなかった」
「私には、その選択肢が…ある」
「そうだ。それが君にはあるんだ。君は選ばれた人なんだよ」
「夢を与える…か」
「人生の選択肢はたくさんあるけど、君が神様からもらったアイドルっていう特別な選択肢は今しか選ぶことは出来ない。選択肢は時間が過ぎれば、どんどん消えて無くなっていく。君が今しなくちゃならないことは、勇気をもって自分の殻をやぶることじゃないのか? そして、消えかけた選択肢をもう一度取り戻すことだ」
俺はドラマに出てくる熱血教師のように熱弁を奮った。
「わたしに、出来ると思う?」ミルキーマウスがつぶやくように言った。
「それはやってみなくちゃわからないよ。それにその姿を見ただけじゃあアイドルになれるかどうかなんて俺には分からないよ。ミルキーマウスちゃん」
「え!?……あ、そっかあ」
ミルキーマウスは右手で口を押さえながら、クスクスと笑った。
「ああ、でもこの世界に入り込む時に、ちょっとだけ君の寝顔を見た」
「で!どうだった!?」 相当気になるらしいな。そろそろ仕上げといくかな。
「あー、正直な感想?でいいの?」
「もちろん!」
「ずっと寝たままだから、顔はすっぴん。眉毛は麻呂状態。髪はテカテカの油髪。唇はガサガサ。おふろに入れないから、タオルで体を拭きやすいように、すっぱだか。だから悪いけど…」
「いやだぁーーーー」
すっぱだか、は完全に盛った。
さっき開け放った扉から見える廊下に視線を移すと、あんなに立ち込めていた深い霧が晴れて、窓からは青空が覗いている。彼女の気持ちが文字通り晴れてきた証拠だ。
「さてと、俺の役目はここまでだな。あとは君次第。目を覚まして夢を実現するか、ここにずっと一人でいて夢を見続けるか」
「…わかった。でももうちょっと一人で考えさせて」
「OK!それじゃあ、そろそろ俺はここから抜けるよ。ところで君、名前は?」
「…鮎森まどか」
「いい名前だ。じゃあね、まどかちゃん」
「うん…………ありがと」
俺はトイレを出て、廊下を歩きながら目を閉じて深呼吸をする。目を開けると周囲の風景が次第にぼやけて、白い光が視界を覆っていく。意識が浮遊するような感覚が広がり、体が軽くなっていく。薄れていく意識のなかで俺は思った。
「あとでもらっておこうかな………………サイン」
Beautiful Dreamer END