昨日、Nintendo Switchの『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』をようやくクリアした。
この作品はその名が示す通り、人や生き物たちの野生の息吹を感じるほどリアルで美しいオープンワールドが再現されていて、その世界を自由気ままに駆け巡ることができる。
いつまでもこの世界に浸っていたいと思わせるほど、久々に心地よい没入感を体験した。間違いなく後世に語り継ぐべき名作と言えるだろう。
世間一般の常識から考えれば、いつゲームへのモチベーションを失っても不思議はない年齢になってしまったが、初めてコンピューターゲームをプレイしてから三十年以上経って尚、未だにゲームで感動できる感覚が残っていることに安堵した。
そんな俺が、まだ彼女もできたことがない中学生の頃に抱いた小さな夢がある。
恋人とゲームショップへ行って、二人で遊ぶゲームを選びたい
手が届きそうで、未だに届かない淡い夢・・・
思えばこれまでに夢が実現しそうな機会は何度かあった。
人並みに恋愛はしてきたので、ゲーム好きな彼女も居たし、彼女が部屋に泊まりに来て一晩中ゲームをしたこともある。
にも拘わらず、子供の頃から憧れている夢のシチュエーションに至らないのは、俺が無理やりにそのシチュエーションに持ち込むのではなく、相手が純粋にそれを望んでいなければならないと考えているからだ。
彼女「ねぇねぇ、なんか二人でできる新しいゲーム買わない?」
こんな言葉が自然と生まれなくては、夢が叶ったとは言えないのだ。
ではなぜ俺が、このどうという事もないシチュエーションを夢見ているのか。その理由を説明するには少々人生を遡って話さなくてはならない。
・・・とは言え大した話ではないので、これ以降は至極暇な人だけお付き合い願いたい。
俺は至って普通の中流家庭だが、比較的お堅い両親の下に育った。
食事は正座して食べるのがマナーで、その最中には「くだらない」という理由でお笑いやバラエティー番組を見る事は許されなかった。だから大人気だった『オレたちひょうきん族』や『8時だョ!全員集合』は父の前では見られなかったし、『毎度おさわがせします』は以ての外だったので、俺は当時無敵の可愛さを誇った中山美穂のファンになり損ねた。
時は80’s、週刊少年ジャンプの全盛期だが、父は「漫画は頭の悪い人間が読む物」という強い偏見を持っており、漫画を買うことを良しとしなかったので(そもそも週刊誌を買えるほどの小遣いはもらえなかった)、貯めた小遣いで密かに買った単行本はクローゼットの奥へ隠していた。見つかっても捨てられはしなかったが、その度に「無駄遣いをして・・・」と嫌味を言われた。
そんな家庭に育ったので、まぁまぁな堅物が出来上がった。(自覚アリ)
小学生の俺は、ギャグ漫画の下ネタではピクリとも笑わなかったし、ヤンキー漫画全盛の時代に「ヤンキー漫画嫌い」を公言していた。人様に迷惑をかけているのにそれを面白おかしく物語にして暴力を正当化するなんて・・・ぐらいの事を本気で考えていた。
今でもスウェット上下でスーパーをウロチョロするような人はガラの悪いヤンキーの類だろうという偏見さえ持っているくらいだ。
この偏見が原因で、当時大人気だった映画『ビー・バップ・ハイスクール』のヒロイン役だった中山美穂に出会えず、またもやファンになり損ねた。
そんな堅物の俺が中学生になってとんでもなくハマったのがゲーム(ファミコン)だ。
両親はゲームを教育の妨げになる諸悪の根源として目の敵にしていた。当然のごとくゲーム機など買ってもらえるはずもなく、小学生の頃は友達の家で遊ばせてもらう事で満足する程度だったが、中学生の頃、あるきっかけからゲームにのめり込むことになる。
俺は中学入学と同時にバドミントン部に入った。入部から一年程経った頃、同級生の部員からいじめにあった。トイレに呼び出されて足や腹を蹴られたりした。相手は地元で有名な建設会社社長の息子で図体がでかく、まるでジャイアンのような奴だった。
いじめの理由は、俺が女子バトミントン部の先輩たちに可愛がられているのが気に入らないというもの。特別扱いを受けている自覚はあったが俺自身にはどうにもできなかった。
耐えかねた俺は顧問の先生にいじめの実態を訴えたが、まともに取り合ってもらえなかった。俺はすぐさま教師など信用できないものと理解し、親に相談もせずに退部を決めた。
今も昔も、教師は複雑な場面に遭遇すると大抵の場合は頼りないものだ。無理もない、いじめの対処法など教科書のどこにも載っていないし、相応の教育など受けていないのだから。
バドミントン部を退部した頃、小学生の頃からの親友が俺を心配してくれて、テニス部に来ないかと誘ってくれたので、俺は全く躊躇することなく入部を決めた。
運動神経には自信があったので、一年の遅れくらいはすぐに取り戻せると思っていたが、案の定入部して二ケ月くらいでレギュラーメンバーと互角に戦えるくらいのレベルまで上達した。
しかし、これを顧問は良く思わなかった。なぜなら、みんな一年生の頃は素振りと球拾いがメインで、コートで試合などそう簡単にはさせてもらえないのに、俺はその過程をすっ飛ばしてしまったからだ。顧問は俺がバドミントン部を辞めた経緯を知っていたはずだが、それもあまりよく思っていなかったと後に知った。
試合に出させてもらえない日々が続き、居心地の悪さから徐々に部活に参加しなくなっていき、最後には完全に幽霊部員になった。当時は何かに打ち込みたいのに周りがそれを許してくれない事に苛立ち、鬱屈とした感情を抱えながら日々過ごしていたように思う。
その頃に出会ったのがゲームだった。
ある日、同じマンションに住んでいる友達(部活に所属していない)の家に遊びに行った時に、「俺は勉強中だからファミコンで適当に遊んでいてよ。」と言われて、偶然手にしたファミコンカセットがドラゴンクエストだった。
俺はドラクエに夢中になった。それ以来、毎日のように学校が終わってからすぐに友達(M君)の家へ押しかけ、ドラクエをやらせてくれとせがんだ。困り果てたM君はとうとうファミコン本体とドラクエをセットで貸してくれた。(=勉強の邪魔だから持って帰ってやれ)
最初はその日のうちに返却していたが、徐々に俺の要望はエスカレートしていき、本体を借りる期間が二日なり、三日になり、一週間になった。
俺が頻繁にファミコンを借りにくる姿を目撃していたM君の両親は、これを問題視した。そして家族会議が開かれ、M君は「ゲーム機は勉強の妨げになるのが彼(俺)を見ていたら分かるでしょう?ゲーム機は彼に譲って、もう彼とは関わらないようにしなさい。」と両親に言われたそうだ。こうして俺はファミコン本体と数本のカセットをタダで手に入れた。
あの頃の事を思い出す度にM君には本当に申し訳ない気持ちになるが、その後、彼は中学三年間で受けた数学のテスト全てで100点を取るという偉業を成し遂げて学校内でその名を轟かせ、後に東京大学に現役で合格を果すことになる。これも俺のおか・・・・いや止めておこう。
弁解のために言っておくと、M君の家はとても裕福で、彼はファミコンの他にもセガのゲーム機(セガ・マークIII)やNEC製のパソコン(PC-9801)なども所有していていて、既にファミコンには飽きたと言っていた。
こうして俺は鬱屈とした感情の全てをゲームへぶつける日々を送ることになる。
当然ながら両親と同居している俺がゲームを堂々と出来るはずもなく、ゲームをプレイする時間は親が寝静まる夜0時を過ぎてからだった。テレビに毛布を掛けて外に光が漏れないようにして、その中にすっぽり潜って毎日のように朝方まで夢中になって遊んでいた。
毎日下校する時に、校庭の脇にあるテニスコートの傍を通って帰るのだが、テニス部員に白い目で見られてもゲームの事で頭がいっぱいで全く気にならなかった。
そんなある日、塾の帰り道にお金もないのにゲームショップに立ち寄り、棚に並ぶ新作のゲームに目を輝かせていると、若い男女が店に入ってきた。格好は上下スウェットで、足にはサンダルを履いていた。当時俺が大嫌いだった典型的なヤンキーだった。
しかし、二人がキャッキャとはしゃぎながら楽しそうにゲームを選んでいる姿を見た時、脳天に雷が落ちたような衝撃を受けて、しばらくヤンキーカップルから目が離せなかった。
その時俺は、自分でも驚くほど言い様のない強い憧れを感じていたのだ。
そして、俺は硬く心に誓った。
「いつか俺もあんな風に恋人と二人でゲームを選ぶんだ!」
あの日から約三十年が経過したが、残念ながら未だに夢は実現していない。
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今思えば、周りにゲーム好きな女子がいなかったことも大いに影響していると思う。アニメ好きな女子はそこそこいたが、当時はゲームをする女子はかなりレアな存在だった。
当時、三つ上の姉に一緒にゲームをやろうとしつこく誘っても全く興味を示さなかった。しかし今では四六時中スマホを凝視して、課金ありきのパズルゲームを飽きもせずに永遠とやっているのだから世の中わからないものだ。
その後、千葉麗子(チバレイ)を皮切りに、宇多田ヒカル、中川翔子(しょこたん)、本田翼など多くのゲーム好き女性アイドルやタレントが出てきて、女性がゲーム好きを公言する事は徐々に市民権を得ていくことになった。
中川翔子さんは数年前にファンになったのだが(綺麗ア・ラ・モードを聴いたのがきっかけ)、今与えられている環境全てにいつも感謝を忘れない姿がとても好印象で、いつかアニメ・ゲーム・特撮大好きな超絶イケメンとの出会いがある事をファンとして願って止まない。
とまあ、我ながら本当に大した話ではないのだけれど、もうすぐプレイステーション5も発売されるし、ファイナルファンタジーのナンバリングタイトルの発売も控えているので、夢が実現するまではゲームを楽しむ心を失わないように生きていきたいなと思う今日この頃です。